5・23メッセージ

今年は全国水平社創立100周年を迎えた年であり、狭山の闘いを勝利してその1ページを飾ることができたらと闘いを続けてきましたが、残念、無念の思いでいっぱいです。
 2006年5月23日、東京高裁に第3次再審請求を申し立て、弁護団や支援者皆さん方の闘いにより、これまでに246点の新証拠を提出しています。弁護団は今後鑑定人尋問を請求することにしていますが、勝利するためには、何としても鑑定人尋問を実現することが最重要です。
 来年、2023年は、不当逮捕60年になります。しかし、来年になれば冤罪を晴らせる との保証はなく、寧ろ今までの司法の姿勢をみれば危機感さえ孕んでいます。そういう意味で今が一番大切な時でありながら、コロナ禍のために支援者皆さん方 に私たちが直接支援要請できないのが残念でなりません。それでも全国の支援者の皆さんが変わらず、創意工夫しながら闘い続けて下さっていることに感謝の念 でいっぱいです。
 全国の狭山集会も、昨年10月に2年ぶりに開かれましたが、不当逮捕された5月の集会は2019年に開かれて3年ぶりとなります。私は過去をしないのが持論乍ら、家に閉じ籠っていると、別件逮捕され、厳しい取り調べを受けたことが思い出されます。通常の取り調べの合間に、元・交通係で、白バイに乗っていた人が来て、机をドンドン叩き、同じく別件逮捕されたAさん、Bさんの自白があるかのように装って、「彼らはこのようにお前と一緒にYさんを殺したと認めているんだ」と、自白の強要を迫ったり、大声で威嚇されました。
 のちにAさんは高裁で証人に立ち、「石川さんはA、Bと殺したと認めていると取調官に 言われた」と証言しておりました。後には「拷問的な取り調べに耐えかねて留置場で首吊り自殺しようとしたが、看守に見つかり死ぬことができなかった」と話 しておられ、Aさんも厳しい取り調べをされていたことを窺い知ることができました。
 一方、河本検事に至っては、机の上に尻を乗せ、革靴を履いた足で、ドタバタと机を叩い た挙句、私が一言も喋らないにも拘わらず、勝手に自白調書を作成してしまうのでした。ただ、河本検察官は強制的に名前や捺印を迫った訳でなく、一応全文を 読んで聞かせた上で、署名捺印を迫ったので、私は述べていないのに、「自白」したようになっていたので、怒って灰皿を投げつけ大騒ぎになってほかの警察官 らが駆け付け、顛末を話してその日以降、しばらくの間、河本検事は私の取り調べを外されてしまったようでした。仮に何も言わずに「名前と捺印」を迫ってい たとしたら無学な私は従っていたかもしれませんが、検察官として調書の内容を理解させておく必要があり、読んで聞かせたものと思われます。
 狭山署の署長と関さんの3人で取り調べを受けていた日が613日であり、それから23日前のことと記憶しています。
 今私が自分を叱責しているのは、取調中に如何なる事情があったにせよ「人殺し」を認めてしまったことで、濡れ衣を着せられ、長い拘禁生活を強いられ、冤罪を晴らすために今も皆様に多大なご迷惑をおかけしていることであります。
 兄の地下足袋を見せられ、事件当夜、兄が夜遅く帰ってきたこともあり、取調官に兄が犯人だと問い詰められる一方、私に自白を迫るのは矛盾していましたが、社会的無知であったので、当時は思慮分別もなく、自分は「Yさん殺しはしていない」と、ただ否定の一点張りでした。
 然し、私が否認し続けていたことでいよいよ「兄を逮捕する」と言われ、長谷部警視から私が自白すれば兄を逮捕しない上に、本来なら1020年位刑務所を出られないところ、10年で出られるようにしてやる、と言われたのです。一家の大黒柱である兄が逮捕されると、家が困ることから、約束を信じて長谷部警視の言う成りになって自白してしまった次第です。
 これまで、私は、忍耐、努力、根性で闘い続けてきました。長い冤罪の闘いですが、この悲哀、不条理、不正義が何時までも続く筈がありません。弁護団や、皆さんの闘い、ご理解のもとで真相は必ず証明されることを確信して今後も不屈に闘い抜き、第3次再審開始の実現を目指し、奮闘する所存であります。
 今日も全国各地において不当逮捕59年糾弾集会に決起して下さったものと思われ、本当に心強く感謝にたえません。
 来年は不当逮捕60年です。何としても来年こそ冤罪を晴らせるように更なるご支援を下さいますよう心からお願い申し上げて、私、石川一雄のご挨拶といたします。ありがとうございました。

 2022523

石川 一雄

全国の狭山支援者各位

 

・陥穽(かんせい)・・・・人をだます計略、はかりごと、罠(わな)

   陥穽に陥(おちい)る=罠にはまる。

・牽強(けんきょう)…道理に合わないことを無理やりこじつけること。